ヒノジン.002 佐脇章三さん、良子さん
移住定住サイト「ひの暮らし」から生まれた企画「ヒノジン」。
ヒノジンでは、滋賀県蒲生郡日野町で活躍する魅力的な人の暮らしや仕事、地域での活動を通して、日野町がどんな町か、そこで暮らす人がどこに町の魅力を感じているのか、
それぞれの目を通した「日野町」をご紹介します。
第二回は、2019年から日野町でゲストハウス「綿向山ビレッジ キッチン カフェ&ゲストハウス」を営んでおられる佐脇章三さん(写真左)、良子さん(写真右)
プロフィール
佐脇章三(さわきしょうぞう)さん。1958年生まれ。良子(よしこ)さん。1959年生まれ。
大阪出身。2019年春に日野町村井で築120年の古民家をリノベーションし、カフェとゲストハウス(民泊)ができる「綿向山ビレッジ・キッチン&ゲストハウス」をオープンさせる。
ー 日野歴は何年目ですか?
(章三さん〔以下(章)〕)2019年の令和元年に住民票を日野に移しました。そしてその年の夏にお店をオープンして、今年で4年目が過ぎました。
ー現在日野で取り組んでいることについて教えてください
(良子さん〔以下(良)〕)築120年の古民家をリノベーションして、カフェと民泊事業です。以前は大阪から滋賀県大津市に移り住み20年大津市に居てました。その時は実は日野のことは全く知りませんでした。
(章)日野に来たきっかけというのは、以前二人で通っていた京都のベジタリアン料理教室の先生が、滋賀県日野で小麦の原種(ディンケル小麦)を育てて販売している方がおられると教えて頂いたのがきっかけです。
近年、小麦アレルギーが多い中、原種の小麦はアレルギーの発症率が低いと聞いていたので、興味がありました。
日本で初めて小麦の原種を日野町で生産販売していることを知り、買い求めに初めて日野を訪れました。それがきっかけです。
その時にはそのお店はすでに閉店していて、近くにあった日野観光協会に行ってみたり、周辺を散策して歩くと古い家が多く大きな蔵が並んでいたりと古風な町だなと思いました。
たまたま古民家カフェの「らっこや」さんでランチを食べ、とっても美味しく、お気に入りになりました。それから来るたびに何度か足を運ぶようになりました。
そして還暦とともに仕事を辞める事になり、なにか新しい事を始めようかなと呆然と考えていました。
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このお家との出会いは?
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(章)その当時、呆然と蔵のある家に住んだら面白い事が出来るのではと、物欲感みたいなものがふつふつと湧き、それで二人で面白いかもっていう事になり、蔵のある家を探しはじめる事になりました。
役場に「空き家バンク」がある事を知ったり、ネットで調べたりと。
(良)もちろんすぐには見つからないだろうと思いながら、縁があったら出会えるだろうなと。
(章)40代の頃から骨董品に興味があって、骨董品を扱えるライセンスも持っていたんです。この町に来た時に古美術「かく福」を見つけて、来るたびに面白いものがないかと立ち寄っていたんです。
そこで古美術「かく福」のご主人とお話をするようになり、「最近よく日野に来るね!」みたいな事で話しをしたら「蔵のある家が沢山残っていて、いいなと思っているんです」という話をしたら、気にかけておくよと言ってくれました。
それから3ヶ月後ぐらいかな、「かく福」さんから「僕の家の裏に空き家が出たけど、興味があったらつなぐので話をしてみるか?」とお知らせを頂きました。
そこから話が進んで、譲ってもらう事になり、それをきっかけに移住してこの町に住むことになりました。
(良)知っている人も誰も居ないところに住む、逆にそれが新鮮だったんです。
(章)二人とも60歳を過ぎてからの話で、会社勤めをしていたら、60歳で定年を迎え、契約社員であと5年勤めるというのが普通かなと思うのですが、僕たちはその5年を下準備に使い、その後も70歳を過ぎても自分達で好きな仕事をして働けたらいいなと考えました。
それがこの古民家との出会いと日野に来るきっかけになりました。
(良)何年も計画してやったことじゃない、割と思いつきばっかりなんです、インスピレーションが大事なんです。
(章)移住というよりは、まだ旅をしている気分です。旅先で気に入った所に長居している様な感じです。ドキドキワクワクを楽しんでいる様な感じです。
ー 他の地域と比べて日野らしい、日野独特と感じる点を教えてください
(章)普通は家を購入する時はお互いの不動産会社を通して契約を進めますよね。この家を購入する時は以前のオーナーと僕達と地元の司法書士の先生にお願いをして契約をしました。
(良)初めての経験でびっくりました。こういう所が日野スタイルかな。この家のオーナーも直接紹介してもらったり、人と人が話をして納得をして契約ができる、そして余計な経費をかけない、節約ですね。
(章)人との出会いが新鮮でした。司法書士の先生は古くから日野で仕事をされている先生ですので日野の人達の家系図が頭の中に入っている感じです(笑)
全然違う目線で日野の事を色々教えて頂きました。
雑談で僕達が綿向山に興味があって登りたいなという話をしていたら、4月20日に獄祭り(だけまつり)というのがあって馬見岡綿向神社の宮司さん社(やしろ)さん達が登っているから、一緒に登ったらどう?と勧めて頂きました。
初めての綿向山の登山は2019年の4月20日に登ったんです。その後毎年宮司さん達と登っています、司法書士の先生からいい縁を頂きました。
その後、契約が締結でき、家の改装をはじめる時、馬見岡綿向神社の宮司さん社さんにお祓いを依頼して、来て頂いた時の社さんの会話がすごく良かったんです。
「佐脇さん達がこの町に来て住んでくれるのは嬉しい、もうお祓いをしたから気兼ねなく改装をしてもいいですよ」何気ない会話ですが、印象的でした。この町に来て住むんだなと実感できました。
(良)私が以前に住んでいた町では歴史を感じた事がなかったです。正直興味もなかったし、歴史を感じることのないまま日々忙しく過ごして居たけど、日野に来て歴史って凄いと感じました。
そしてこの町の歴史について、みんな凄くよく知っておられるんですよね。それから日野の方って、日野生まれ日野育ちでそのまま日野に住んでいる方が多いように感じます。また地方に出ていっても戻っている方が多いように感じます。みんな日野愛が凄いですね。
ー 日野のここが好きというところを教えてください
(良)会う人達みんながみんな日野を愛しているんですよね。そしてお店に来られるお客さんが僕たち尋ねます「なんで日野なん」って。
(章)この家を買うことになった時、その良さをわかっていたかというと、住んでみないとわからない良さていうのがいっぱいあると思うんですよ。
その要素が端々にありました。日野町自体が道にゴミがなかったり、それぞれの家の玄関先が綺麗にしていたり、非常に静かだし、たまに見る夕日が素晴らしく綺麗だったり。清楚できっちりした人が多いのかなと感じていました。
鈴鹿連峰の山並みの綿向山の恩恵が大きいのではと思いました。高さ1110mあり、関西で冬山に樹氷が見られる山で有名だそうです。日野はその裾野にあり山の気候なんですね。もちろん冬は雪も積もりますし、いつも自然が近くにあるという感じです。そんな所も好きです。
僕たち自体も自然に任せて生活する様になりました。朝は日の出とともに起きます。そして農道に散歩にでかけます。夕日も綺麗だし、虹もしょっちゅう見るし、都会に住んでいたら出会えないものが出会える感じです。
(良)コロナで3年間、凄い大変な思いをしながら、気持ちが落ち込む時は、近くの農道に綿向山を見にいきます。本当に元気が出るんです。この自然で雄大な景色に助けられていると思います。当時2匹のワンちゃんを飼っていたので、何時も綿向山の方向に歩きながらワンちゃんを農道を走らせてたんです。やっぱり綿向山の雄大な景色がいつも目に入ってきました。
(章)お店の名前を考えるときに「綿向山」を入れたいと思いました。住所が「村井」なので「ビレッジ」はどうかなと妻にプレゼンしたら、いいねと言ってもらいました。
僕はニューヨークが大好きな街の一つです。その中でもイーストビレッジはお洒落でかっこいいアーティストが集まる地区です。サブカルチャーの中心地です。その様な感じで色んな人達が集えるお店にしたいと思いを込めました。
そして、意外と日野に縁があるというのにびっくりしました。お店の向いのNさんは若い頃、家具の配達をしていたそうです。その時京都宇治の家具屋さんに配達でよく行かれたそうです。実は僕の親戚のお店でした!その当時の女将さんに優しくして頂いたと言っておられました。
その話がきっかけで、親戚のように話しかけたり、相談したりしています。
ー 町内、地域との関わり方を教えてください
(章)町内会には、カフェやゲストハウスをやっていると土日祝は必ずお店を開けなくてはいけないので、色々な状況を町代さんと組長さんにお伝えして相談に乗って頂きました。
不思議なのはこの町に来てから色々な人達との出会いがあります。
60歳を過ぎてから友人ができたり、お店をしていると来ていただいたり、知り合う機会が多くなりました。そして本当に沢山の人に助けられている現状です。
(良)何もかもが素人とというか、普通にお勤めをして生活をしていると、なかなか知り合いが増えないけれど、商売をやらせて頂いているので縁がいっぱいできて。
4年目ですが、去年あたりから町ですれ違って「あ〜こんにちは!」という人が増えました。
ー これから日野でやりたいことを教えてください
(良)体力がある限り働きたいと思っています。カフェをやっていると人の出会いがあるんで、続けられたらいいなと思っています。
(章)ゲストハウスをもっと本当は埋まる様に、もうちょっと自分達で努力しなきゃいけないですね。
将来的にはあと一組4名〜6名が宿泊できるスペースをプロデュースしてオープンさせたいと思っています。
京都に行くと右も左も海外からのお客様だったりするので、このお客さんを滋賀県まで足を伸ばしてもらえるように、本来の日本の文化を感じてもらえるように、古風な町並みにある古民家に宿泊して触れてほしいと思っています。
そしてもう一面は、日野はハブステーションなのかなあと思います。日野を中心に30分から40分圏内にいろんな名所に行けるし。
(良)先日は、鈴鹿サーキットにF1レースを見に行かれるお客さんに宿泊をして頂きました。日野から鈴鹿まで下道で40分ぐらいなんですよ。
(章)そして日野はシンプルでプリミティブな部分がいっぱい残っているのに、通りすがりでは中々感じる事は難しいだろうなって思います。
例えば馬見岡綿向神社の「日野祭」や行事なんかにしても、ああいうのはたまたま来て出会ったら凄いと思います。
そしてホタルも凄く湧いて出るし、夕日も綺麗だし、虹もよく見るし、日野のチャーミングなポイントはいくつもあるんですけどね。
(良)日野はチャーミングな町やねんな。
(章)商業的に観光客を呼ぶようなパワーっていうよりも、チャーミングな所が沢山あるのでそれに触れてもらう、1日2日ぐらいゆっくりしていると、だんだん良さが見えてくるんとちゃうかな。
(章)一番最初に僕たちが事業を始める時に、カフェはわかるけど、宿泊はどうなんだろうと心配してもらったんです。
すぐにコロナ禍になったので難しかったですが、今は少しずつお客様は伸びています。
海外の方達は二人から四人のグループで動いておられることが多いので、僕達のゲストハウスは一棟貸しスタイルなので喜ばれると思っています。
「こんな所に素晴らしい宿があるなんて、凄いな!」というふうに言われるといいなと思います。
(良)この4年間、初めての事業をスタートさせて、何もかもが初めてで、経営的なことや資金繰りも含め、何もかもサラリーマン時代から考えると大変でした。体力も落ちてくるし!
これからはもうちょっと余裕を持って、日野は文化的な町でみんな音楽が好きだったりするので、ここで音楽ライブができたりしたらいいなと思っています。
(章)本当は色々やりたい事がまだ全然できていないんですよ、蔵のある生活をしたいって言ってたのは、蔵で音楽のレコーディングスタジオができたらいいなと思っていました。
40年間音楽の仕事に関わってきたので、漠然と妄想していました。宿泊施設があって、美味しいご飯が食べれて、リラックスができて、そして良い音で録音ができるスタジオ、みんなで考える時間が持てる、この日野に来て1週間くらいゆったりと。
(良)朝の散歩や座禅もできるし!
(章)ミュージシャン達はコロナ禍でみんながそういう時間が作れなかったり、凄く悩んでる時間が長かったと思うんです。これからどんどん人と人が交わる事が多くなり全然平気になり、そんなスペースがあったらいいなあというのを、ずっと思っています。
ー これから日野に住もうと思っている人にひとこと
ぜひ、住んでほしいです!
するめのようにじわじわと、噛めば噛むほど良さがわかる町だと思います。ぜひ、日野の良さを味わってみてください。
日野町へ移住をお考えの方はぜひ、
をご覧ください!