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ヒノジン.004 古道紀美子さん

移住定住サイト「ひの暮らし」から生まれた企画「ヒノジン」。

ヒノジンでは、滋賀県蒲生郡日野町で活躍する魅力的な人の暮らしや仕事、地域での活動を通して、日野町がどんな町か、そこで暮らす人がどこに町の魅力を感じているのか、
それぞれの目を通した「日野町」をご紹介します。

プロフィール

古道紀美子(ふるみちきみこ)さん。1949年生まれ。日野町出身。
民泊の受入や加工品の製造販売「ぶんべえ」を営業。

ー 日野歴は何年目ですか?

生まれも育ちも日野なので75年。あいだに上富良野(北海道)に1年、大津市(滋賀県)に1年ほど住んでいました。

ー 現在日野で取り組んでいることについて教えてください。

ぶんべえでは、こんにゃくや味噌、お惣菜など色んなものを作っています。「みかく市」に出店したり、農業もやっているので、たまねぎを町内の学校給食、平和堂、ブルーメの丘、きてか~な(近江八幡市)に出荷しています。また、サークルでわたむきの里まつりや日野ひなまつり紀行などのイベントに「ひまわり食堂」を出店しています。

みかく市(日野観光協会主催)での出店の様子
新鮮なお野菜やお花がずらり!

民泊の受け入れは、日野町の民泊開始当初(2008年)から携わっていて、一番多いときには年間で約100人の受け入れを行いました。また、インバウンドの民泊受け入れで、いろいろな国の方に日本の田舎の体験をしていただいています。

地域では、高齢者サロン「杉ほっこりカフェ」の運営をしています。

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様々な取り組みをなされていますが、その原動力となっていることは?
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民泊をはじめたおかげで、日野にいながら世界中の人と交流ができました。受け入れる子どもだけでなく、地域で受け入れをしている人たちなど、何よりも、町内の方とすごく仲良くなれたというか。百姓だけをしていたら他の地区の人とそんなに交流はないと思いますが、これをやったおかげでどこに行っても声をかけていただけるし、そういう繋がりができたということがすごく力になっています。
民泊の受け入れをしている人たちとの関係性は、あらゆることに関しての付き合いになるので。すごくホットというのか、強いつながりを感じます。

「ひまわり食堂」は「日野ひなまつり紀行」というイベントがきっかけです。当時は、日野に食べるところがあまりなかったので、役場の商工観光課の方から「お茶のみどころをやってくれへんか」と言っていただき、民泊の仲間と一緒に「ひまわりサークル」というのを作って西田邸で始めました。

ひまわりサークルの皆さん

それにも色んなところから人が来てくれはって。「ひなまつり紀行でお味噌を買ったらおいしかったので、今度はいつ売りますか?」と電話してくれる人やまた来てくれる人など、そんなつながりもまた嬉しいです。

民泊のネットワークで色んな人と知り合いになれたのがすごい力になっているし、お店をすると色んな人と交流ができます。それが生きがいです。

ー これから日野でやりたいことを教えてください

とにかく今やっていることを一生懸命することです。もう一つ、趣味で俳句をしています。

日野の俳句(近代俳句)は、80年近く、錚々(そうそう)たる人たちが確立してくれはって続いています。今は高齢化で、若い人がなかなかやってくれはらへんというのがあるので、何とか子ども達にも伝えたいなぁと思い、「鳰(にお)の会」(俳句サークル)で小学校に行かしてもろてます。また、ひなまつり紀行を応援したいなぁという思いで、子ども達の俳句をほいかざりに飾ったり、今年は滋賀銀行のギャラリーにも飾ってもらいます。

ほいかざりと一緒に飾られた小学生の俳句

日本語はすごい素晴らしいと言うのか、きれいと言うのか。例えば、「雨」は英語で「rain」。日本語では、5月は「五月雨」、「梅雨」もあれば11月は「時雨」、ほかにもたくさんの言葉があります。そういうのを普段は感じひんけど、本当は、日本語はものすごく美しいということを子ども達にも知ってほしいなと思っています。

俳句をやり始めて、普段しゃべるのに何の不都合もなかったのに、俳句をしかけると「これどういう風に表したら良いんやろ」と思いました。「自分って言葉何にも知らんねやなぁ」って。

草も「雑草や」と思って見過ごしていても、一つずつに名前があって特徴があって。川の流れでもそれぞれに特徴があって。そういうのを俳句の目で見ると、「あ、今日は昨日と違う」というのを感じられます。
難しく考えず、カメラで撮るように「見たまま」をしたらそれが俳句になると子ども達には言っています。

― 日野のここが好きというところを教えてください。

私らが青年会のときに指導してくれてはった瀬川欣一(せがわきんいち)先生が、二言目には「自分らの住んでるとこはな、自分らで考えんでどうすんのや。誰が考えてくれるんや」と、何かあったら必ず言わはりました。
皆そういう気持ちでいやはるというのが、やっぱり好きやなと思います。

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その言葉通り、古道さんは色んなところでご活躍いただいていますね。
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私は嬉しがりやさかい、呼ばれたらついつい行ってしまう(笑)
でも動けるうちは、できるだけ動きたいと思います。
皆さんがカバーしてくれはって、何とかこうやっていられる。そう思います。

ー 他の地域と比べて日野らしい、日野独特と感じる点を教えてください。

民泊もそうやけど、日野町が日野町でいられることで、できることがたくさんあると思います。

また、日野には歴史も文化もあるさかいに、新しいことをしていくなかでもしっかりと守っていきたいと思います。

学校に行かしてもらったときに「石ころ一つでも、先祖さんの汗が染みついたるんやさかいに、そういうことは忘れんといてほしい」っていうことを子ども達に言っています。その上で、新しいことをやっていくのは良いけど、それを忘れてっていうのは、ちょっと寂しいなって思います。

ー 町内、地域との関わり方を教えてください

高齢者サロンも、字の役ですると、次に役を受けてくれはる人が「これせんならん」と思ってくれはると嫌なので、役が終わってからするわって言うて。
ボランティアでするわって言ってくれはる人が4人ほどいて、役が終わってから、その人たちと一緒に立ち上げました。

ー これから日野に住もうと思っている人にひとこと

日野はよいとこやで、いっぱい来てや。古民家やらいっぱい空いたるでな。
いっぱい来て、新しい日野をつくってほしいです。

ヒノジンステッカーをお渡ししました!


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