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ヒノジン.005 岡登志男さん

移住定住サイト「ひの暮らし」から生まれた企画「ヒノジン」。

ヒノジンでは、滋賀県蒲生郡日野町で活躍する魅力的な人の暮らしや仕事、地域での活動を通して、日野町がどんな町か、そこで暮らす人がどこに町の魅力を感じているのか、それぞれの目を通した「日野町」をご紹介します。

プロフィール

岡 登志男(おか としお)さん。1947年生まれ。日野町出身。車夫。

ー 日野歴は何年目ですか?

生まれてからずっと日野町ですので、77年目です。

ー 現在日野で取り組んでいることについて教えてください。

もう歳ですので、特になにもやってないんですけど、まぁ地域の人に喜んでもらえればなぁという思いで色んな趣味をやっています。
それは車夫や俳句、絵手紙、しめ縄づくり、あとは日野菜をつくっています。

車夫をはじめることになったのは、「日野ひなまつり紀行」というイベントを企画されたときに「人力車引っ張れる人はないかなぁ」という話が出て、「やってくれへんか」と言っていただいたことがきっかけです。というのも、小さいときからリヤカーを引いてましたんでね。人力車を引っ張ることについて抵抗はなにもなかったです。

日野ひなまつり紀行アンバサダーであり、元NMB48で滋賀県出身の内木志(ないきこころ)さんをご案内

人力車で案内をするときに、ガイドブックに載っていることだけでなく、歴史や神話を話しています。そうした話をして興味を持ってもらえる方が、普通に案内するよりもおもしろいかなぁと。

「祭りばか」をやっているので、京都や長野の祭りなど色んなところに行っています。

私が住んでいる西之宮神社のお祭りが5月2日にあるんです。3日が日野祭りですので、それの予行演習という形で綿向神社から西之宮神社へ渡御があるんです。そのときの神輿を出すのが西之宮町という町内会が担当するようになっていて、町内には多いときで30戸ほどあったんですけど、神輿かつぐには昔やと50人でいけたんですが、それでも30軒でかつごうとすればどうしても人が足らんと。そうすると他所からかつぎ手を頼んでこんならん。

昔はよその集落に頼んでたんですが、それもできなくなったので、京都や長野の方に頼みに行くようになって、そうしてつながりができると、京都や長野の祭りにも行ったりして、そうやって色んなとこ行って楽しんでますなぁ。なんでも、やってることがおもしろいので続いたるんやと思います。

― 他の地域と比べて日野らしい、日野独特と感じる点を教えてください。

他所へあまり出たことがないので、日野と比べてどうかというのをあまり思わんのやけど、俳句やらをしていると、都会の人も来てもうてやりますねけど、「日野はやっぱりええなぁ。いっぱい句材があるとこやなぁ」と言ってもらえます。

特に私がええなぁと思てんのは、綿向山もよろしいし、野田川もですね。滝之宮神社から流れている川で、夏になるとホタルなんかも。それはまぁ最高かなぁ。都会の人連れてきたら、幻想的な世界やで感動しやはる。野田川は昔からの素掘りの川やさかいに、両面に草が生えていて、そんな川はもう全国でも少ないと思います。だいたいコンクリート貼りの河川に変わってしもたるさかいに。

あとは、人力車で案内をしていると「この町ごみも少ないし、きれいやなぁ」と言うてもらえます。

それと人を大切にしているというのか、来やった人に親切やなぁというのが日野らしいのかなと思いますね。あんまり来やらへんでか知らんけど(笑)

人力車、これから出発です!

― 日野のここが好きというところを教えてください。

神社仏閣が多いっちゅうのが私は好きですね。

お祭りも、祭りバカですので、好きですね。
コロナで祭りが中止やったときに「西之宮祭りだけはしよう」と。町内会で「祭りはこういうときにすんねや」と。やめたらあかん。やっぱり皆楽しんでやらなあかんさかいに言うて。大きい神輿はでけへんけども。簡単な神輿を作って、それで町内ぐるっとまわろうと。皆賛同してくれはってな。ほんで新しい祭りを2年続けてやりました。

これがこれからの祭りになんのかなぁというような町内の雰囲気になってはきています。神輿かきのほれ(人数を集めるの)が大変やさかいに。そお言うてやめるわけにはいかんさかいに。それにかわる神輿を何とか作ってでもしよかっていうことでやってんけども。それが町内としては成功しましてですね。特に「直会(なおらい)」では町内の人皆でてきてよばれました。

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「直会(なおらい)」とは?
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なんか色んなときに「やったらなおらいしよ」って慰労会みたいに言うてんねけども、そおやなくて。「なおらい」っちゅうのは「神様にお供えしたものをいただく」。神様と同じものを食べることによって神様の力をもらえるちゅうのがなおらいやで、なおらいは大事やって言うねん。ほやさかい、コロナ禍やったけども、町内のもん皆でてきてよばれました。

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コロナ禍で、様々な催し物などが中止されていたなかで、そのように実施できた理由は?
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祭りの本などに書いてあるのは、祭りちゅうのは、「待つこと」やと。里で待つのが祭りやと。人間は毎日生活していると、ずーっとこう、落ちてくんねんな。同じように生活してたら、「気(ケ)」が落ちてくんねん。これを上げんならん。

気が落ちくるのを「気が枯れる(けがれる)」と言うねけども、神様に来てもうて、お供えをする、ほんで神様と同じもんを食べて自分の気が上がっていったら、また生活が良うなっていく、ほういうのが祭りやさかいに、神様と同じものをよばれる「なおらい」が大事やと、ですのでどうぞ皆さんぜひやってください、ちゅう話しになって、ほなそうしましょうと賛同してくれはって、皆出てきてもうたんです。

やっかいなことやけども、それが、どこで役立つかなという、あまり「やっかいや」って切り捨てていくのもどうかなぁと思いますね。便利さだけが良いのではなしに。

ー 町内、地域との関わり方を教えてください

今日まで無事に生活をさしてもぉてるので、何とか地域にお返しができればなぁという思いは持っています。(人力車で案内してるときに)歴史の話しやらを面白うさしてもらえたらええかなぁと。ほおいうことで地域に興味を持ってもぉて、地域を見直してもらえればありがたいなぁと、ほんなことを思っています。


ー これから日野に住もうと思っている人にひとこと

どこへ行っても住めば都で良いと思うんですけども、やっぱり地域の良いところを見つけ出してもらうことが第一やろなぁと。好きにならなんだらあかん。そこの人が好きになる、土地が好きになる、悪いところばっかり見つけてもらったんでは長いことは住んでもらうことはできんやろなぁと思いますね。

ヒノジンステッカーをお渡ししました!


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