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ヒノジン.001 田中宏明さん

移住定住サイト「ひの暮らし」から生まれた企画「ヒノジン」。

ヒノジンでは、滋賀県蒲生郡日野町で活躍する魅力的な人の暮らしや仕事、地域での活動を通して、日野町がどんな町か、そこで暮らす人がどこに町の魅力を感じているのか、
それぞれの目を通した「日野町」をご紹介します。

第1回目の「ヒノジン」は、酢屋忠6代目/HINO BREWINGの田中宏明さんです。

HINOBREWING株式会社 代表取締役 田中宏明さん

プロフィール

田中宏明(たなかひろあき)さん。1983年生まれ。日野町出身。日野町大窪にある「酢屋忠本店(すやちゅうほんてん)」の6代目。
HINO BREWING株式会社 代表取締役。

ー 日野歴は何年目ですか?

18歳で日野を出て、30歳で帰ってきたので、今年で28年になります。

ー 現在日野で取り組んでいることについて教えてください。

クラフトビールの醸造所をしています。
仕事を通じて日野祭を日野町外の人に知ってもらって、日野祭を手伝ってもらったりしています。

いずれは移住してもらったりとか、そういうふうな形になれば良いなと思っています。

最近では、日野に来てくれた友達で、日野に引っ越してきたいと言ってくれる人がいるので、一緒に物件を探したりもしています。

ー 他の地域と比べて日野らしい、日野独特と感じる点を教えてください。

町の規模感が、小さいというか、そんなに大きい町じゃないので、誰が誰と認識できるというか顔とか名前とかぐらい、どこどこの誰々さんというのがわかる規模感の町っていうのは、やっぱり京都とか、大阪に住んでると、ないことかなと思います。まあ、良い部分も悪い部分もあると思いますけど。

別に友達とか知り合いじゃなくても、なんか存在は知ってるぐらいにはわかるような距離感は日野だからだなと。

ー 日野のここが好きというところを教えてください

良くも悪くも時間がゆっくり流れている部分はあるなと思っていて。

よく仕事で僕は町外に出て、東京とか、大阪に行くことがあるんですけど、
ゆっくりなんかこう、スピード感とか含めて落ち着ける部分がありますよね。

僕はお祭りに関わることが多いので、そういう話になっちゃうんですけど、多分こう地域活動というか、地域のお祭り行事も比較的多い地域だと思うんですけど。

それをやっていると、僕みたいにその親も日野で生まれ育ったみたいな世代だと、個人のつながりだけじゃなくて、親のつながりが僕のつながりになったりもするので、「お前の父ちゃんにはいついつこんな形で世話になってな〜」みたいな感じで、逆に今、僕のことを手伝ってくれて助けてくれたりとか。アドバイスをいただいたりとか。

出典:HINO BREWING オンラインショップ(http://hinobrewing.shop8.makeshop.jp/view/company)より

そういうこともあるので、世代を越えたつながりを長く住んでいると受けることができるところがいいところかなと。

ー 町内、地域との関わり方を教えてください

祭のことは一から十まで、あとは公民館の地区役員、僕は体育委員をしています。

代わる人がいないので、もう10年以上やっています。笑

まぁでもそういう、当て役というのが住んでいると出てくるので。
町内にそもそも振り分けられた役があるじゃないですか。どこかに入らなきゃいけなくなるんですけど。

それをこう、どのレベルでやるかは、その人それぞれのとこですね。強制なわけじゃないし結構その町内とか区によって、そのカラーがあると思うんですよ。

うちの町内は比較的みんな距離感が上手な人たちが多いので、そんなに普段の生活でめちゃめちゃ関わるわけでもないし、ただでも行事があったら一緒にするしっていう。なんかいい距離感で。

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祭のある地域のなかでも、田中さんのおられる南大窪町は特に盛り上がっているように感じています。田中さんが戻って来られたり、一緒にHINO BREWINGをされているトム・ヴィンセントさんが入ってこられたりして、勢いが出てきたというか、活気づいておられるんだろうなという印象を受けていますがいかがでしょうか?
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何ですかね?ちょっとこうみんな感覚が若くなったような。

挑戦したりとか、なんか一回やってみようみたいなのに、抵抗が無くなっていったので。よく最初は曳山のことでもなんかいろいろ新しいことをしようとすると、ハレーションをいただいたんですよ。僕も。

「なんでこんなことするねん」「何がしたいの」みたいなことをよく言われてたんですけど、「こうすることで、こんな風にしたいんやけど」みたいな話合いを、よくしてたんですけど。

ある方が、「若い奴がやりたいって言うから一回やらせたりいな。で、みんなで見てみて。それでやっぱりこれはアカンと思ったら元に戻したらいいやんか。一回若いやつらのやりたいようにやらしてあげよう。」と言ってくれて。

そこから流れが変わって、とりあえず一回やってみようとなって。

宵山の日に上鍛冶町まで曳山を持って行ってみようとか。
最初は怒られるかと思っていたけど、どんどんみんなも「いけいけ!」となってきて。

そこで周りの町から「南大窪町は元気やな」と言ってもらえたのが町内に良い影響を与えたんだと思いますね。


愛犬の6(ろく)ちゃんと

ー 外に出る前とあとで、日野町に対する印象は変わりましたか?

あんまり変わっていないです。肌感覚としては。
割と時がとまっているような町だと思うんですけど、ここ10年ですごく変わったなと感じています。

僕は18で出て30で帰ってきたんですけど、30で帰ってきた時はあんまり変わってないなと。変わってないがためになくなっていくものもあるじゃないですか。高齢化で商売たたむとか、継ぐ人がいないとかで、得意先の方もだいぶ減りました。

そのなかで、そこから5年くらいしたらカフェが何軒かできたりしてにぎやかになってきたなというイメージですね。

でも、もっとちっちゃい時は、幼稚園とか小学校の時は町ももっと賑やかだったんです。

昔商店街だったんですよ、このお店の辺りは。
僕が小さい時は市場があって、前がパチンコ屋で、斜め前は薬屋で、裏は定食屋もあったし。

夜市とかもやっていて。二週間に一回か毎週くらいやってましたもんね。大窪の信号あたりからひばり野くらいまで通行止めにして。商店街組合の人たちが金魚すくいしたりとか、なんかほんまに夏祭りみたいなことをしてくれたんで、子供心にはめっちゃたのしかったのを覚えています。

大人って元気やなぁというイメージで。だから、それと比べたらもちろん賑やかじゃなくなったし、単純に人口も多かったし、商売もそこで成り立っていたと思うんです。

これからまた賑やかになるといいなと思います。

10年前と違うのはSNSができて、物流も進化して、都会にはあって、田舎にはないというものが減ったかなと。
逆に田舎のアドバンテージみたいなところは残っているような気がしていて。

僕らも売り上げ8割くらい東京なんですけど、商売するのに働く場所とか関係なくなってきたので。

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確かに、ひと昔前は東京で物を売ろうと思うと営業所を構えるとか、そういうことをしないといけなかったですもんね。
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だけど、そういったことをしなくても、流通の面でも冷蔵便も充実していますし、じゅうぶん成り立つというか。

コロナ禍でリモートワークも増えたし、結構このあたりにも東京からおばあちゃん家が空き家であるからちょっと直して使っておられる方もいたりして、そこまで場所を選ばなくなって、やり方によっちゃあ十分楽しく暮らせるというか。

日野の良いところは名古屋でも大阪でもそんなに遠くないし、遊びたくなったら京都も近いし、東京だって新幹線で3時間で行けるので、そんなに不便のない動きやすい場所なのかなと思います。

ー これから日野でやりたいことを教えてください

今、お店でビールの量り売りをやっているんですけど、結構町外からのお客様も増えてきたので、もっと来てもらえるようなことができたらいいなと…

隣に倉庫のスペースがあって、そこを直してさらなる受け皿にしたいというのはちょっと思っていますね。そうするとこう、町中にくる人も増えるので。

酢屋忠本店の立ち飲みスペース

このあたりの旧市街地がもう一回元気になってくれたら嬉しいなぁと思いますね。僕が全部するわけではないですよ(笑)
僕は一つしかしないですが、それでも「あぁ、成り立つんや。あそこでこれができるんやったらできるってことか。」と思ってもらえたら。

色んな人が入ってきてくれると、いいなと思いますね。

ー これから日野に住もうと思っている人にひとこと

不便なことも多々あると思うんですけど、まあ、その不便を楽しむような部分はなんか意外とあるので。

ここでも立ち飲みできたりとか、カフェも何軒かできたし、町内でそれなりに楽しめる町にちょっとここ最近十年ぐらいで変わってきたので。

あちこちあるコミュニティに積極的に入ることが楽しむ秘訣かなと思います。町内付き合いだけでなくて、そうしたところに行ってみるといいかなと思います。

ヒノジンステッカーをお渡ししました!

酢屋忠本店Instagram
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